男木小・中学校再開から見えてきた未来

活動レポート

特定非営利活動法人男木島生活研究所の福井です。
郷里の男木島へUターンをして、休校していた男木小・中学校の再開と移住者の受け入れという活動に対して、翌年の2015年にTOYP(旧 人間力大賞)に選んで頂き、それぞれ衆議院議長奨励並びに全国知事会奨励賞と当時の私としては過分な評価を頂きました。35歳までは大阪を拠点にWEB制作業を営み、会社と家の往復をしながらで地域のコミュニティでの活動や社会の事、日本の将来の事とはほぼ無縁だった人生を送っていましたが、それが男木島での取り組みを高松青年会議所の皆さんの後押しで全国に広がるきっかけを作って頂きました。ありがとうございます。

正直、男木島に帰ることがこんなに注目を浴びるとは思っていませんでした。私がUターンを決めたのは瀬戸内国際芸術祭2013がきっかけです。18年ぶりにゆっくりと過ごした男木島には子どもたちがいなくなり、平均年齢も70歳を超え、消滅までのカウントダウンが始まっていました。その現実を目の当たりにし、この機会、過疎の進んだ島でできる自分の役割はこの状況を変えるためにあるのではないかと考え、家族とも相談しUターンを決意し、そのためには子どもが通えるよう休校していた小中学校の再開を目標としました。子どもがいなくなった地域は将来的には消滅する可能性があるということ。都会であれば、働き盛り世代で活性するでしょうが、過疎の田舎、それも離島という場所においては、子どもがそのまま地域の継続に直結しています。学校再開という事は、地域が継続する可能性につながります。特に離島という条件不利の過疎地域では、公立校の再開は、先生の移動に伴う交通の活性や雇用などにも広がり、地域全体のインフラを支えていきます。そうする事でまずは島に暮らしながら子どもたちが通えるようにする事、そして島で働く世代を増やしていく事となりました。

現在も移住者を増やすべく、高松市移住定住促進室とも協力しながら男木島への移住相談を行い、学校の継続を意識しつつコミュニティの維持の一助になるべく活動を続けています。現在の男木島は150名程度の人口ですが、おおよそ三分の一が2014年以降男木島で暮らし始めた所謂移住者関係者になります。NPOとしても年間10件、多いときでは20件程度の移住相談を受け、25件の移住の実績となりました。そして、大変有り難いことにそこから5人の子どもたちが島で生まれ、元気に育っています。
昭和20年頃、今から80年以上も前ですが、1,000人以上が暮らしていたそうです。そこから、仕事を求め京阪神を中心に中学を卒業した金の卵世代が島を離れ、そして、高度成長期にあわせ団塊の世代も島を離れていきました。昭和50年頃には600人となり、平成には300人台となっていきました。私が小学校に入学した昭和59年当時は小・中学校の児童生徒数は50人程度居ましたが、中学を卒業する頃には30人以下になっていたと記憶しています。
現在150人の人口に対して、高校生以下の子どもたちは17人おり1割を超えています。昭和50〜60年代よりも子どもの占める割合はやや増えてきていますが、安心はできない状況です。男木島などの過疎地域は、日本の10年、20年先の未来が早く訪れますが、2020年コロナウイルスが世界中に蔓延した事で、過疎の時計に針は進んだと感じました。同時に新しい暮らし方への模索も始まりました。大規模通信が可能なインフラが整えられ、教育・医療の現場での活用が始まりました。働き方も変化し、場所に縛られない職種の人たちがより良い子育て環境やコミュニティを求め、男木島に辿り着くケースが増えてきています。


年が明けから、全国的なニュースでも子どもたちを取り巻く話題を目にする事が増えてきています。これからますます子どもたち次世代が安心して育ち学べる機会が重要視されてくるでしょう。移住地として受け入れられるには、子育てをしやすい雰囲気があり、自治体などのサポートもしっかりしていることが前提ですが、意外と大事なことは豊かな文化がコミュニティにしっかりと残っているかという点も移住の際には、見られています。この地域なら大丈夫かなと思って貰える事で初めて移住の第一歩が始まります。歴史や文化こそが実は移住にとって大事な要素だということが9年移住者、移住希望者たちと話をしていく中でとても大切なことなんだと気がつくことができました。私たちNPOとしても、男木島らしさとは、何かを常に考えながら島の歴史と未来と一緒に歩んでいければと思う次第です。

最後に(偉そうに聞こえてしまうかも知れませんが)20代、30代は何を始めるのにも遅くない、失敗しても取り返せるエネルギーがあります。その期間に多くの知識を得、思いを同じくする友人に一人でも知り合える事ができれば、その後の人生は緩やかに大きく広がっていきます。家族、会社の仲間や従業員、地域の人たちからどんどん大きく広がり活動を通して世界も豊かになっていきます。私たちも小中学校の再開当時の初心の思いを忘れないように日々の活動に取り組んで参ります。地元高松を盛り上げられるよう一緒に挑戦していきましょう。

福井 大和

福井 大和

NPO法人男木島生活研究所代表 香川県高松市男木島生まれ。中学卒業後、島を離れていたが、「瀬戸内国際芸術祭2013」をきっかけに、18年ぶりに家族で男木島へUターンを決意。休校していた男木小中学校の再開活動に取り組み、Uターン後は保育園の再開など島で子育て出来る環境を整え移住・定住を支援。コワーキングスペースの整備や「ICTを活用した高齢者の見守り・教育」の実証事業など男木島での暮らしのアップデートをしながら地域のボランティア活動も積極的に行い、地域住民と接しながら様々な取り組みを行なっている。2015年公益社団法人高松青年会議所人間力大賞受賞 

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